Return Present


「忠誠心の訳ないだろうが。この嘘つきが」
司馬師は隣の鍾会を見ながら呟いた。
眠る鍾会は、何も気づかない。かすかな寝息を立てながら司馬師の刺すような視線にその寝顔を晒している。
見ているとつついて起こしたくなるような寝顔はどこか猫を連想させて、司馬師は視線を逸らしてから寝返りを打った。


夜遅く鍾会が尋ねてきたときには少し驚いた。
用がなければあまりまとわりついてこない彼は、多分自分の事を苦手に思うのだろうなと司馬師は勝手に思いこんでいたのもある。
「何をしに来た?」
「・・・これ・・・・」
鍾会は両手で包み込めるくらいの妙な革袋を持っていた。
「珍しいお酒なんですけど、一緒に如何です?」
ますます気味が悪い。
鍾会だったらこのような場合に行く先はいくらでもあるだろう。口は悪くとも人並みに社交的な人間だし、見た目は好かれるタイプだ、彼に誘われて嫌な気分のする者はそうはいないだろう。
「何故だ?」
「は?」
「何故私なのだ?」
「・・・何かお気に障りました?」
鍾会は少し驚いたように言う。
「私は、これは子元様だと思ったまでで・・・とくに他意はないんですけど。って、私が言ってもあまり信用はないですね」
軽く肩をすくめ、どこか寂しそうな薄い笑顔を作った。
・・・ああ、なんかね、君はねえ・・・わざとらしいのを解っててそうやるわけだ
司馬師は入り口の扉の横にすっと避ける。
「入れ」
「ありがとうございます」
無表情のままの司馬師に物怖じもせず、薄い笑顔から、にっこり満面の笑みになった。

-------- そんな顔を、私に向けるな。

司馬師の部屋は薄暗い。
凝った調度品も無く、簡素だが落ちつく部屋という設えは彼の性格を表しているようだった。
勧められて座ると、司馬師も向かい合わせに座る。
「で、何が私なのだ?」
司馬師の無表情にこう問われれば、大抵の者が何もしていなくても自白しそうな冷たい顔。でも鍾会はやはりそういう部分では物怖じをせずに答える。
「この酒。・・・白酒なんですけどね。一口舐めたら何となく子元様がお好きそうだって」
「だから一緒に、か」
「ええ」
「本当にそれだけなのか?」
「・・・目的も実はあるんです・・・・」
鍾会はにやっとして言った。
「子元様の家の食事は美味しいので」
「・・・・・・・」
卓についてにこにこしながら言う鍾会の顔は、蝋燭による陰影でいつもより若干大人びて見える。
冷たい笑顔は益々冷たく。
だが、空気は少し和らいだ。
「餌が目的か・・・まったく。この私相手にそんなこと言えるのは君だけだな」
「お褒めいただいて恐縮です」
まもなく、家の者がいろいろ整えて出してくる。
皆、無言。物を置く音すら立てない。
そして、音もなく消える。
「徹底してますね」
「騒々しいのはたまらない」
「そうですか。では」
カチン、と軽く杯を重ねる。

いつもながら一方的に鍾会が話し、司馬師はただ黙って聞いていた。
とりとめの無い話とはいえよく続く物だなコイツと思うことはもうずいぶん前にやめた筈だ。鍾会は話をさせておけば勝手にいつまでも話している。そして自分がとくに反論が無ければ肯定も何もしないことも、知っている。
この穏やかな声は聞いていて気分は悪くない。話題も楽しいし、彼は彼で一方的でも話しているのは楽しそうだ。
昭はこれに返答するんだから凄いな・・・と思ったのはずいぶん昔の事だ。
「・・・なあ、士季?」
「はい」
「楽しそうだな?」
「それはもちろん」
鍾会はにっこり笑い、司馬師に言う。
「子元様とこうして食事できるのが楽しくないわけ無いですよ」
「さっきから無言なのに?」
「でも聞いてくださってる、違います?」
------ 違わないね、確かにね。
------ でもその自信満々なところが癪に障るんだよ。
「私の時間をこれでも割いてやってるのだ。高く付くぞ」
「どれくらいですか?」
「・・・さてな。・・・」
言うと、鍾会の腕を掴んだ。
自信満々の笑顔はまったく変わらない。

どちらからともなく牀の上に行く。
くすくすと忍び笑いだけが聞こえるような、ぼんやりとした闇。蝋燭の光から離れた場所では、お互いの表情もよくは見えない。
「お前は昭が好きなんだろうに、こんなことしていいのか?」
「いいんですよ、無条件はいやですか?」
「嫌ではない。だがお前が何の考えも無しにこういうことをするのも理解しがたい」
「・・・では、子元様へは忠誠心を」
・・・忠誠心、ねえ・・・・
司馬師は呆れているのを気づかれないように、そっとため息。
徐々に目が慣れてくる。
「どうせ昭にも同じ事を言っているのだろう? 君の忠誠は案外・・・・」
「今は子元様だけです」
「・・・ま、君はそういう人間だ。だから好きだよ」
言ってしまい、司馬師は自分でも少し驚いた。自嘲の笑みとなって唇の端に出る。
冷静な自分がこのざまか、と舌打ちしたい気分だった。
好きと言わせたな。・・・まったくこのお子様は。自分が好きな人間には好きになって貰わないと気が済まないのか。
そして司馬師の予想通り、鍾会はこぼれるような笑顔を向けてきた。言わせた、とでも言うように。
-------- ああ、おもしろくない。
「忠誠心を向ければ無条件で好きと仰ってくれるのは、子元様だけですよ」
「そうか? 君には誰で・・・」
「・・・ふふ・・・」
君には誰でも言ってくれるだろう・・・そう言おうとしたが、鍾会はそれ以上は言わせないとでも言うように、唇を重ねてきた。
気づくとするりと伸びた腕は首のうしろまで回っていて、ほっそりとした身体を預けてくる。
思ったよりも官能的な重さに、司馬師は薄く笑った。
その唇をなぞるように舌先で舐める鍾会。笑ったのを確認したのか、そこでようやく視線を合わせてきた。
まっすぐに見つめる潤んだ黒い瞳に映っているのは、自分なのだろうか。
「・・・・っ・・・・」
鍾会に軽く噛まれ、ハっとする。
少しだけ唇を離して、鍾会は言った。
「誰のこと考えてるのですか?」
「士季のことだよ」
「うそばっかり」
鍾会は甘い声でそう囁くと、もう一度口づけをしながら司馬師の帯に手をかけ、器用にほどく。
そして、裾の中に手を滑り込ませ、彼の中心に触れると指を絡ませた。
「嘘だと思うか」
鍾会をそっと押し倒し、その耳朶からうなじにかけてそっと舌を這わせながら、息を吹きかけるように低い声が囁く。
「これでも嘘だと言うのか?」
「・・・さあ・・・?」
鍾会はぽつりと言うと、司馬師の背に腕をまわした。


------ 誰かさんのことを人に重ねて情事を繰り返す君の事を考えてるのだよ、と言ってやればおもしろかったかな。


自分にとっては一時の暇つぶし。彼にとっても。
人の官能を誘い、快楽の渦に巻き込むのは何故だ? そうでもしなければ自分がむなしいんだろう?
だからそんなことばかり身につく。
それは楽しいのか、哀しいのか、もう本人にも解らないのだろうな。
別に鍾会が嫌いじゃない。欲しければ心以外はなんでもくれてやるさ。
私が愛せるのは、あの人だけだ。それ以外は意味など無い。意味を見いだす必要も無い。
お互い、そこにいたから抱き合ってみただけだ。
君も同じだろう? 
それでも何故かな? 君が寂しそうな顔をしているのを見るのは、不愉快な気分になる。
嬉しそうだとむかつくんだけどな。
だからこれは、忠誠心なんて形のないものに答えを求めてきたお前への返答だ。
どんな顔を見せてくれる?

牀の軋む音に混じり、かすかに開いた唇から甘い声が漏れる。
「・・・はぁ・・・んっ・・・」
繋がった部分を強く波打つように締め付けられながら、意味のない睦言をくり返し囁く。
自ら腰を動かし、快楽を貪り続けるその浅ましい姿が、酷く美しい。
「・・・っ・・・・ぁ・・・・・」
細い喘ぎの合間に唇を舐める姿に、思わずのしかかり、その唇を貪る。舌を吸い、唇に噛みついて、そのたびに低い笑い声が漏れるがもはや笑っているのはどちらだろうか。
潤んで焦点のあってない彼の目に映るのは何だろう。
------ 私の姿など映ってないだろう?私は、似ているからな、あいつに。
------ あいつに見えるのだろう?
「・・・ね・・・・もっと・・・・」
そのたまらない声でねだられると言われたとおりにしてやりたくなるのは天性の物か、後天的なものなのかな。
膝の裏をすくい上げ更に深く突くと、掠れた悲鳴と共に身体がしなる。
解放された欲望により更にきつく波打つそこの動きに、司馬師も軽く喘いだ。
荒く息をつく鍾会を見下ろしながら、司馬師は低く呟いた。
「・・・士季・・・お前さ・・・」
「なに・・・?」
「昭にも同じように言うのか?」
喘ぐ呼吸が一瞬止まり、鍾会の目が見開かれる。
驚きか、怒りか、或いは自分でも気づかなかったのか。一瞬で正気づいた顔に、司馬師は満足げに笑う。
「誰でも同じだろう?・・・・私もだよ!」

その時鍾会が暴れたかもしれないし、抵抗されたかもしれない。
でも今さらやめるか。誘ったのは君だ。
細い腕を逃がさないように押さえつけたときに爪が引っかかる。
拒絶の叫びが途切れ、再び甘い声を出すまでいくらもかからない。
先ほどより激しく動くと悲鳴にもにた嬌声が上がる。目尻からこぼれる涙に舌を這わせ、耳元で再び囁く。
「・・・同じだな・・・・」
欲望だけのけだものどうし、今は仲良くしようじゃないか? それがおまえの気持ちというのなら。
激しく抱き合い、鍾会が求めるままに与え、奪い、夜が更けるのも忘れて行為に没頭していた。



「これが忠誠か?」
司馬師は言った。
忠誠に報いることしか出来ない。それが自分にできる最大のことだ。
「愛想笑いも媚びも諂いもうんざりだ、お前なら解るな?」
そう言われながら、鍾会は自分の手首を指先でなぞっている。みみず腫れの痛々しい手首を。
「・・・・解ってますよ、子元様・・・申し訳なかったです」
鍾会は掠れた声でそう言うと、司馬師の胸に寄り添ってきた。
「これがお前の忠誠心ならば謝る必要などないだろう、この嘘つきが」
「悪いですか?」
「悪くはない。良くも無いが、そういうふりはやめろと今、言ったよな?」
「ふりじゃないですよ。こういうのだって楽しい方が良くないですか?」
・・・楽しい、のか? 君は? これが?そう口に出す前に言われる。
「子元様は楽しくなかったですか?」
「答えて欲しいか?」
「・・・応えてくれてる・・・じゃないですか・・・・」
その言葉を最後に、寝息をたてはじめた鍾会。
月明かりの下で酷く青白い顔に見えるのは気のせいだろうか。
何が彼をここまで追い詰めているのだろうか。
一度は背を向けたが、ふと彼の手首が気になり、もう一度彼の方を向くと、その手首を掴んでみる。
おそらく自分が引っ掻いたのだろう、酷いみみず腫れだ。
これを誰かさんに問い詰められたらどんな顔をするのやら・・・想像して、薄く笑った。



朝、目を覚ますと鍾会は既にいなかった。
だが、彼の付けていた帯飾りが一つ、枕の上に置いてあった。
花を象った翡翠の飾り。こんなものを付けていたかな?という程度にしか覚えていないが司馬師はその場に残る甘美な空気に目を細める。
------- 今だけの忠誠、つまり偽物、でも気づかなければ本物に見えるのかもな・・・・
飾りを手に握ってみると、冷たく固い。
利発で物怖じしないと思われる鍾会の、子供のような心の一部であるかのように想像し、司馬師の胸は少し痛む。
きっとあいつはそれだけでは足りないのだろうな。自分は何も応えない癖に。
愛せば、愛し返して欲しいのは道理だが、相手が悪い。
それでも鍾会はその相手に言われれば司馬師の事ですら簡単にその手にかけるだろう。
そこまでしても、何も得ることなど無いと知っていても。
------- 寂しいな。





その日、司馬昭と鍾会が一緒にいるのを見かける。
誰といるときよりも鮮やかな笑顔での姿を見ると、司馬師の胸は先ほどの痛みを思い出した。
------ 忠誠も愛も生きることさえ、君は昭に寄り添って居るんだな
あんなに彼のことだけを考えてあんな目で見ているのに、まだ全てじゃないと思っている。
残酷な。
昭は永遠になにも寄越さないぞ。そして。
------ お前に残っているものなど無いぞ、士季、気付け。
ふと、鍾会がこちらを向いた。視線に気づいたのだろう。
司馬師は表情を変えなかった。
鍾会もそのまま会釈をしようとして、司馬師の帯飾りが自分のものであることに気づき、少しだけ唇の端を上げ、左手の内側をちらりと司馬師に見せた。酷いみみず腫れは血の流れた痕のようで。
共犯者同士はそれと解らないような一瞬の笑みを浮かべ合う。



やがて二人は話し終え、司馬昭だけがこちらに向かって来た。
「珍しい飾りですね」
「そうか? ただの翡翠だろう?」
鍾会がしているときには目にも入ってないのに私には目ざといわけか。
少々の沈黙のあと、司馬昭は小声で尋ねてくる。
「兄上」
「・・・なんだ」
「士季と何かあったのですか?」
司馬昭の一言に、司馬師は笑い出すのを堪えるのが精一杯だった。
こういう勘が良いのに、何故気づかないのか、こいつは。
「べつになにもないが、どうした?」
「兄上が士季を見る目が、やたら、その・・・・」
「なんだ、言え」
「・・・憐れんでるように見えたので」

ああ、あんなに憐れな子はいない。
それが壊れていくのを見るに忍びなくてそんな目になるだけさ。
私のそれには気づくのに、士季の気持ちには気づかないお前は最低だな。
だが、こらえきれなくなり、司馬師はくすくすと笑い出してしまった。
指先で飾りをもてあそびながら、思い出す。昨晩のことを。
------ 二人でお前の事を考えながら一晩中愛し合うふりをするのは病的で楽しかったよ。
そう言えばどんな顔をするのかな、お前は?
根底はお前なんだよ。
私ですら、返せないものには答えない。返せないものは必要ないものなのだから。
愛情にみせかけた愛されたいエゴなら返せる。忠誠心に対する信頼も返せる。
偽装した忠誠には、偽装した愛で応えてやった。
だがお前は、偽装のない士季が向けるほどのものを返せるのか?
それだけではない、彼に寄越せと言っておきながら、自分は何一つ士季に渡す気など無いだろう?
もうあいつは何も無いのにな。
そして、空っぽになったあいつを適当に切るのか、お前は。お前なら出来るだろうな。
人など、自分の野心の道具としか映らないお前には簡単なことだろうな。

でも気をつけろ。私とは違う。
私はお前に向けた愛なんてものがあれば、そんなものただでくれてやる。返さなくてもいい。
私のことも野心の踏み台くらいに思えばいい。それでお前は後悔しない人間なのだから。
だが鍾会は、返せなければお前を襲ってくるぞ。与えるだけで満足する人間ではない。
既になにもない部分に少しずつ詰め込んだ狂気の刃でまっすぐ斬りかかってくるぞ。

------ 自分が与えたものを返せと、実行不可能な戯言を言いながら。

彼には、お前しかないのだから。

「憐れ・・・といえばそうかもな。・・・仕える相手が私たちではな」
くくく・・・と喉の奥でわらって、司馬師は司馬昭の肩を叩いた。
「忠誠も愛情も、向ける相手を選ばないとな?」
「兄上?」
「なあ、そう思わないか、昭?」

司馬師はいぶかしげに自分を見つめる司馬昭に近づくと、耳元にそうささやきかけたのだった。



おわり(2010.02.25)


後書きは2010年2月25日のブログをどうぞ。


NOVELへ戻る

Copyright(C)2010  Tomorane All rights reserved.  since 15/JUN/2002